掃き溜め

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曽根崎音ゲー心中

beatmaniaが無くなった世界で私は生きていけるのだろうか。
私は年を取った。学生時代にハマったゲーム、そして今もプレーし続けているゲーム、beatmaniaIIDXのプレー期間が人生の半分に達しようとしている。良くない言葉を敢えて使えば典型的な「老害音ゲーマー」だ。昔のUIは良かった、過去作のこんなジャンルが収録されないのは寂しい、長押しなんぞけしからん、等と音ゲーに対する妄言はすべて過去との比較になって出てくる。それもそうだ。明確に記憶に残っている数年来の思い出全部が音ゲーと紐づいていて、逆に言えばそれ以外が無い。過去の足跡は筐体の上にしか残っていない。

私の年表にも短いながらに音ゲーとの記録がある。田舎から初めて東京へ出てきた時、今は無い池袋のゲーセンで、田舎じゃツチノコよりも珍獣だったee'MALLが稼働していて、とても感動したのを覚えている。大学受験の時は宿泊したホテルの最寄ゲーセンで遊んだし、社会人デビューとSP十段デビューはほぼ同時期だった。先日のロケテストだって、前日までに残業を重ねて無理やり時間を作って参加してきた。あの時の案件のことは、手元にあるロケテストの整理券とともに記憶に残り続けるだろう。記憶の年表には西暦の代わりにbeatmaniaのサブタイトルがずらっと並んでいる。あれはHAPPYSKYの時。あれはResort Anthemの時。キリストの誕生から数えた年月よりも、音ゲーと共に歩んだ年月こそ私にとっては確かな「有史」だ。

しかしbeatmaniaはゲームである。それも手元に残るゲームではない。アーケードで稼働するタイプのゲームだ。ゲーセンでの現役稼働が終了したらどうなってしまうのか、見当もつかない。もしサービスが終了したとして、その後オフライン環境で動くかどうかも分からない。メンテナンスには大量のパーツが必要で、そっちの生産の方が先に終了してしまうかもしれない。巷ではレトロな格ゲーやSTGを集めた小規模ゲーセンがTV番組で取り上げられたりしているが、果たして音ゲーがレトロなゲームとなった時、かつて音ゲーで育った人間が通える場所は残っているのだろうか? 私と音ゲーは、あと何年、一緒に歩いていけるんだろう?

最近は、音ゲーで育った人間が音ゲーを作る側に回った感動的なエピソードが沢山見られるようになった。HELL SCAPER -Last Escape Remix-のDJ TECHNORCH氏のコメントの衝撃は永久に忘れない(まだ読んでない人はここから読んでくれ。私なんぞの駄文を読んでいる場合ではない)。きっとコメントが公表されていなくても、それこそBEMANIシリーズに限らなくても、作る側に回った人間がたくさんいて、今の音ゲー世界を回している。いい時代になった。かれらはずっと音ゲーと関わり続けていくだろうし、音ゲーじゃなくても新しいものを作り出して、ゲーム史を太陽のように照らしていくんだろう。じゃあファンは、プレイヤーは、どこまで付いていける? プレイヤーは月だ。太陽の光があってこそ存在感を放つ。ゲームは当然遊ぶし、ロケテストも行くし、ファンアートを作るし、曲を聴くし、ファンの活動だって無意味なものは一つも無く、全て価値のある行動になっていると私は信じている。だけど、だけど。一次創作物が無ければ我々ファンはファンで在ることすらできないのだ。音ゲーがなくなったら、beatmaniaがなくなったら、手元に残るのは機能を失ったe-amusement pass一枚しかない(技術革新が続けば最終的にカードすらなくなるのかもしれない。それくらい未来まで音ゲーが残っていてほしい)。いっそ筐体を火葬して、骨壺に納めた残骸を抱えて生きていられたらいいのに。でも骨壷には鍵盤も皿もついていない。やっぱり私はゲーマーで、彼岸花を踏みしめて墓参りするよりもゲーセンへ通うほうが向いている。

音ゲーがなくなったら、beatmaniaのシリーズが終わったら、私は生きていけるんだろうか。ここまで来ると私がしているものは恋か呪いか分からない。未来成仏疑いなき恋の、手本となりにけり。いや、手本になるのか? 相愛ならともかくとして、ファンというのは永劫の片想いに生きるものだ。心中は決してできない。だからゲーセンへ行く。行くしかない。グッバイ現世、またゲーセンで会おう。