掃き溜め

好きなことをプッシュする

聞いてくれ。黛灰のことを。

※この記事には黛灰の配信、serial experiments lain、劇場版遊戯王THE DARKSIDE OF DIMENSIONSのネタバレが過分に含まれます※
 
解釈? 考察? ただの怪文書
そんなことはどうでもいい、私はさっさと楽になりたい、だから文字にした、それだけだ。
私は苦しい。黛灰というVtuberに出会ってとても苦しい。
別に何をされたというわけではない。そりゃそうだ、配信者がいち視聴者に何をできるというのか。
でも私は現に苦しんでいる。なんでだ。どうしてだ。だから感情の棚卸しをする。たぶん考察みたいなのもある。
 

■きっかけ

もともと私はVtuberどころかゲーム実況者すらまともに見ていなかった。字幕実況プレーくらいが関の山。
そんなある日、音ゲーマーの界隈で俄に話題になったのが、黛灰と同じにじさんじに所属するVtuberの社築だった。見てみたら上手いし解説も丁寧だし、それまでの音ゲープレイ動画と違って初心者に親切で。それでいて「わるい音ゲーマー」文脈も擦っちゃうオタクくんの姿に感銘を受け、以来私はVtuberの動画も見るようになった。おかげさまでSEKIROにどっぷりハマってトロコンまで至ったのだがそれは別の話。
 
細かい経緯は忘れたが、切り抜きや気になるゲームタイトルを追っていくうちに出会ったのが黛灰だった。
 
私は彼と出会った日を忘れない。
2020年9月29日。
察しのいい黛オタクはこの情報で分かったかもしれない。何故なら彼の誕生日の翌日だからだ。
黛灰のチャンネルのトップページに何気なく飛んだら、このサムネイルが目に飛び込んできた。「こんばんは」というシンプルなタイトル、謎の黒い影。ホラーゲームか何かか? そう思って開いてみると、動画の内容も意味がわからなかった。ボイチェン経由の関西弁。考察が飛び交うコメント欄。なんなんだよこれ……こわい……。
とりあえず非公式wikiを確認した。そして彼が「物語」を背負うVtuberであることを知った。
衝撃だった。Vtuberは顔出しの代わりにイラストを表示してゲーム実況をする人なんだと思っていた。が、その「キャラクター性」を活かして劇場型配信を行う人が少なからずいるらしいのだ。たくさんの配信を通じて徐々にバックストーリーが明らかになっていく様子は、24時間365日続けられる映画のように感じられた。面白いじゃん。Vtuberにしか出来ないことがある。新しい表現のかたち。良い……!
 
そこから、私は少しずつ黛灰の配信アーカイブを見ていった。
はじめはガラージュ配信から。興味があるゲームの動画を見るだけのつもりが、気が付いたら「黛灰がプレーすること」に価値を見出すようになり、次第に「黛灰が語ること」が聞きたくてしかたなくなり、雑談のアーカイブを巡回し、ボイスを買い……。体調不良で長期の休養を取っていた私には有り余る時間があった。ほとんどの時間が過去の動画視聴に注がれていった。もちろん新しい配信も随時行われる。新鮮だった。リアルタイムで配信が行われるのがこんなにも新鮮だとは思わなかった。突然グルメスパイザー選手権が行われたり、虚無を実況したり。
あまりにも意味が分からなかったのだがとりあえず面白かったのでついて行くことにした。
 
 

■特によかったアーカイブの感想とか

まだ全部見れてないんだけど、特に印象に残った配信の感想とか。
◎Sayonara Wild Hearts
 
音ゲーでゲーム音上げてくれる配慮。たすかる。
タロットカードの知識を交えつつ世界観を掘り下げてもらえて面白かった。自分がやっていたらリズムゲー部分ばかり着目して終わっちゃいそう。買った。
 
ポケモンシールド実況シリーズ
 
本当に驚いたし感動した。遊び方次第でゲームはいくらでも面白くなるんだと教えてもらった配信だった。
図鑑説明を見てニックネームを考えたり、ジムごとに新しいパーティを組んだり、ポケモンの「らしい」技を採用していったり。ポケモンって、剣盾の世界って、こんなに広くて面白くてわくわくするものだったんだ……!
DPtの頃に孵化廃人をしていた人間にはとてもとても効いた。性格……個体値……自分が見ていたのは数字で……ポケモンじゃなかったのかもしれない……ストーリーは対戦環境を整えるまでのオマケくらいにしか考えていなかった自分が恥ずかしくなった。
この配信を見てDLCを買ってめちゃくちゃダイマックスアドベンチャーした。
 
◎SUPERHOT
スタイリッシュFPSかと思いきや徐々に現実が飲まれていくストーリーで見入った。VR版で遊んだら没入感もすごそう。試行錯誤しつつカッコいいプレーを目指す過程を見せてもらえるのもいいよね。ガラージュの時にも言われていたけど、サクサク進めるのではなく自分なりにゲームを楽しむのがいいところ。
再生速度1.5倍にして見たらメチャクチャ酔った。
 
◎Orwell
雪山人狼のサムネからずっと思ってたけど一九八四年好きだよね?
にじ3Dの角度が独特な回。ゲームそのものの雰囲気も良いし、情報の取捨選択の中でちょいちょい小ネタ挟んだりするスタイルが好き。1:11:40~あたりのアゲアゲサウンド聞いてるとこがなんとなくシュールで良い。
一九八四年の小説買った。
 
◎NECROBARISTA
ノベルゲーは見るのもプレーするのも苦手だったんだけど、ゲームの特性と黛の実況が相まって非常に良かった。ぺしょぺしょに泣いちゃった。「役割が終わるだけ」とか言わないでください。
いま積んでるゲーム終わったら買う。
 
 ◎WATCH DOGSシリーズ

「プロモーションを含みます」の表示がこんなに嬉しいことある?
ハッカーハッカーのゲームをやる。黛がデビュー直後から遊んでいたシリーズが、最新作のレギオンが発売される頃には公式インフルエンサーとして配信することになるとか。
全シリーズ通じて、運転シーンがメチャクチャ好き。操作が難しいらしいけど、それにしても電柱を吹っ飛ばし、たまに人を吹っ飛ばし、他の車の横っ面にダイレクトアタックをかましながらのドライブはスリル満点てレベルじゃない。
それでいてストーリーの重いところにきちんと向き合う姿勢が良い。初代最後の選択とか、レギオン#3の重い選択のときとか。

 

 

■苦しい

3D配信のアーカイブをきっかけに、私は更に彼の「物語」にのめり込んだ。
そして苦しむことになった。
何故なら、視聴者が彼の「考察」を行うということは、暗に彼のことをひとりの「キャラクター」として扱うことになるからだ。架空の存在として扱わざるを得ない。それは、何らかを目論んでいる野老山教授にとっても非常に都合の良い展開であり、かつ、黛灰自身を苦しめる。私が黛のことを考えれば考えるほど、黛を傷付けることになる。めちゃくちゃメタい。「中の人」、という言葉が憎い。憎いのに、絶対に頭の中から消えなくて、Vtuberを語る時には必ずついて回る。でも中の人がいること前提でしゃべることは、黛灰の存在を傷付ける……ぐるぐるぐる……
 
くるしい。
 
私は苦しみ始めた。たぶん黛のリスナーみんなが苦しんでるのだと思うし、リスナー同士で何かゴチャゴチャ言っていても仕方がないし、何も解決しない。
 
くるしい。
 
私は何度か筆を執ろうとした。これでもいっぱしのオタクで、いっぱしの二次創作屋だ。なにか書ける気がする。彼がのんびり日常を過ごしている姿もいいだろう、彼が雑談でたまに話すような異世界転生じみた話を描くのも面白いだろう。
でも、それをすればするほどに、実在する黛灰のイメージから離れていく。それはもう二次創作の中の黛灰で、本物の黛灰の物語ではないから。というか、物語に組み込んでしまったら、その人物は架空の存在ということになる。黛灰を……架空のキャラクターとして……? それはつまり……
 
くるしい。
 
もしかして、これはナマモノと呼ばれるジャンルなのではないか?
でも、にじさんじに限らずVtuberの二次創作は盛んに行われ、公式が推奨しているような節さえある。初配信からファンアートのタグが決められ、積極的に二次創作を投稿することが喜ばれる。なんなら本人がRTすることもある。ナマモノと呼ばれるものでタブー視されることのほとんどはNG行為にあたらないらしかった。
他の人との絡みを妄想して形にしたっていいし、好きな服を着せたっていいし、ファンブックを作ってもいいし、グッズを身につけてコラボカフェに遊びに行くのもいい……二次創作によって楽しみが拡張されていく歓びを私は知っている。私はこれまでにも、好きなアニメやゲームでさんざんに妄想を繰り広げては形にするのを繰り返してきたはずだ。
……いや、ちょっと待て。
それってつまり、黛を漫画やアニメやゲームの中の存在として扱うってことじゃないのか。缶バッジ……アクリルスタンド……グッズが販売されているのを見ると複雑な感情が湧いてくる。
 
くるしい。
 
だが誰も私を助けないでほしい。
私を助けられるのは黛灰だけなのだ。
同担拒否? 違う、そういうものじゃない。私の感情は、偶像崇拝を禁じるような、もっと別の何かだ。だが崇拝とも違う。だって黛灰は神じゃない。
 
くるしい。
 
私にとって黛灰は推しじゃない。尊敬する人だ。ひとりの人間として私は尊敬している。慕っている。応援している。「お前が黛の何を理解してるんだ?」と言われればそうかもしれない。会ったこともない人を尊敬するだなんて、と。だがBLEACH藍染惣右介は言っていた、「憧れは理解から最も遠い感情」であると。誰かを尊敬する気持ちの中には「あの人のようになりたい」という憧れの気持ちが含まれているはずだ。理解していなくても尊敬の念は抱いてもおかしくないのだ。だから私は彼を尊敬している。いちゲーマーとして。それでいて、茶目っ気のあるエンターテイナーである彼を応援している。いち視聴者として。
こういうの、なんて呼べばいいんだろう。「好き」といっていいんだろうか。こんなに苦しいのに。
 
 

serial experiments lainと黛灰、それから新型デュエルディスク

2021年4月1日。lainを見ろと強く背中を押された。
何しろ5月には彼の今後を決めるアンケートを出すなどと宣戦布告された。
統計学の先っぽを舐めた程度の知識で喋るが、Twitterのアンケートなんてあまりにも恣意的で参考にならない。あんなのはアンケートの形をした意識の誘導にしかならない。
それを、ひとりの人格の未来を決定するために使うのだという。
 
は? ナメてんのか?
オタクはよく知っているはずだ。部数アンケートがどれほど無力であるかを。
 
教授の目論見を理解するにはlainを履修したほうがいいかもしれない。焦りが私の背中を押した。彼の「物語」はserial experiments lainをとても意識している論を見かけるし、本人も好きな作品として公言しているし。
で、見た。アニメ全部とゲームのプレー動画全部。
あと先人たちの考察も読ませていただいた。
 
結局、私が出した結論としては「黛灰、岩倉玲音じゃないじゃん」だった。
 

(※プラナについては後述)
 
lainを意識しているのは間違いない。3D配信の演出もそうだし。黛灰の配信アーカイブやボイスは、ゲーム版lainで閲覧できるデータ群そのものだ。
でも、岩倉玲音の立ち位置に、黛灰はいるのだろうか?
 
岩倉玲音は、集合的無意識に人格を与えて少女の肉体にぶち込む実験により作り出された存在だ(と思う)。黛灰はそうじゃない。どちらかといえば集合的無意識に取り込まれる側というか……ゲーム版の美里のような位置にいるのではないか。
 玲音は美里のことを友達だと認識していて、一緒に遊んだり彼女の家に行ったと語る。だが、玲音のクラスメイトたちは美里のことを知らないと証言する。結果、カウンセラーの柊子先生は、美里を玲音の頭の中にしか存在しないものと決めつけて切り捨ててしまう。
黛灰のことも、視聴者は認識している。コメントを拾ってもらうことで相互に会話することもあるし、視聴者参加型企画で一緒に遊ぶこともある。だが、黛灰をよく知るという野老山教授は、彼のことを架空の存在だと言う。
このことから、私は黛≒美里なのではないかと思うわけだ。
 
しかし本当に黛灰は存在しないのだろうか。
4月1日の教授の配信では、彼が黛のTwitterサブアカウントに投稿された内容を認識してなかったことが判明した。教授が万能ではないことが露呈した。自分だけが彼を見てあげられると散々豪語しておきながら。教授の知らない、そして黛本人も知らない黛が居る。
(その黛を「自我」と捉えるべきか、玲音とレインのような関係と見るべきかで悩んでいる。分からん。Youtubeのコミュニティに投稿された情報や出るはずのないEXボイスは、ゲーム版lainのLda_xxに相当すると思っているんだけど。自分の情報が第三者の目につく形で公開されるというのはゲーム版lainのやり方だよね……?)
 
また教授は、黛を現実世界に連れてきた後のことはどうでもいいとも話していた。
つまり彼にとって、黛は手段でしかない。目的は別にある。おそらく3D配信の時に出てきた「wizard」になるために、黛を現実世界に連れてきたという実績が必要なのではないか?(野老山教授は、ワイヤード世界の神になろうとするアニメ版lainの英利政美に近いのだと思うし、そういう考察もたくさんあるので私はこれ以上掘り下げない。)
 
そ、そんな人間が作ったアンケートで黛の今後を決めるだと? 正気か!?
2021年4月9日現在で約37万人存在するチャンネル登録者が全員路頭に迷っちまうぞ!?
 
黛灰が美里のような立場にあるなら、視聴者にはやれることがある筈だ。教授が用意する、教授に都合の良いアンケートなんかじゃない方法。
だって黛灰だよ? 既存のゲームやアニメの流れをそのまま再現するだけで満足するような人じゃなくない? 居たはずの誰かが居なかったことになったり、モニターに頭突っ込んで死んだり、肉体が不要になったり、自分の存在を自分で消したりなんか、しないんじゃないの??? 
 
とてもメタい読みだが、これから起きそうで希望がありそうなのがlainのifルートだ。私たちが大得意な二次創作だ。ゲーム版lainのクラスメイトがもし、「美里のこと知ってるよ!」と言っていれば……という仮定だ。
視聴者がクラスメイトに代わって、「私知ってるよ!」「見たよ!」「一緒に遊んだことあるよ!」と証言していけば、美里は……黛灰は居ることになるんじゃないのか。
しかしそれでは、黛は視聴者の操り人形みたいになってしまう。過去に行われたアンケートと何も変わらない。視聴者が選んだ「自由」は黛にとっての「自由」たり得るのかという問いかけがあったように。結論は出ない。堂々巡りだ。
 
そこで論じる必要が出てくるのが、劇場版遊戯王THE DARKSIDE OF DIMENSIONS(以下TDOD)だ。
令和において集合的無意識を論じるなら、この映画を引き合いに出さなければならないと私は思っている。これ以上ないほど集合的無意識が分かりやすく表現されているからだ。でも、lain遊戯王を同時に語っている人間を見つけられなかった。じゃあ私がろくろを回すしか……ないじゃないか……。以下心理学もlainもよく知らない人間がテキトーに喋るぞ。(先人がいたら教えて欲しい切実に 読ませて……)
 
TDODにはプラナと呼ばれる人々が登場する。ざっくり説明すると、プラナは通常の人間よりも思考の力が強く、集合的無意識を操作することができる。他人を消したり、自分を好きな場所へ移動させたり、何でも出来る超能力者のような立ち位置にある。lainと絡めて言うならば、岩倉玲音の力をとても弱めて複数人に持たせたような存在にあたるだろうか。
さて、そんなプラナの代表者みたいな立場にある藍神が、海馬瀬人に対してこのように語りかけるシーンがある。
TDOD中の海馬瀬人は、海馬コーポレーションの社長でありながら童実野町での実権をほぼ手中に収めている。そんな彼を藍神は痛烈に批判する。
 
世界のあらゆる出来事は人間の集合意識が無意識下で脳内ネットワークを通じて決定している。
つまり、童実野町で君が独裁者として君臨しているという事実も、街の住人、果ては世界の人々の集合意識によって決定されている。
君は支配者を演じさせられているに過ぎないのさ。
 
 集合的無意識の説明、これ以上分かりやすいこと、ある?
周りの人間が「海馬コーポレーションの社長だ」とか「デュエル強い人」とか「童実野町の支配者」とか認識しているからこそ、海馬瀬人は存在するのだという主張である。
まあ確かに、海馬を知っている人の中には海馬が存在するだろう。しかしその中心に海馬瀬人本人の意志はない。まるで虚像。架空の存在。それはゲーム版lainにおける美里と変わりない。
 
この後のシーンが、私が一番主張したいことであり、黛灰の今後に繋がる重大な要素であると私は睨んでいる。
プラナの力により、存在を消されそうになる海馬瀬人
彼はどうしたのか?
 

見よ!!!

 

新型デュエルディスクの装着である。
心配する弟モクバに「うろたえるな」と言い聞かせ、左腕を高々と掲げて、「見よ!!!」である。

もちろんただのデュエルディスクではない。
プラナの一員であるマニ曰く、
 
あれが奴の自我を増幅させ我らの力を跳ね返した……!?
 
というとんでもない代物である。
新型デュエルディスクにより自我を増幅した海馬瀬人集合的無意識に打ち勝ち、存在を消されずに済んだのだった。
 
お分かりいただけただろうか。
これだ。これが答えだ。見つけたよ黛。見つけたよリスナー。
集合的無意識、他人からの認識、その全てを跳ね返すほどの自我だ。黛灰の自我だ。本人の強い意思が何よりの武器になるのだ。教授が居ようと居まいと。周囲の認識があろうとなかろうと。黛灰はここにいるという自己主張が!!!!!あれば!!!!!!!全て済む!!!!!!!!!!!
集合的無意識の力は強いが、それだけがこの世の全てではない。そもそも、外界と関わり合う自我が必要なのだ。
黛灰は直近の配信で、生きた証を残したいというような発言もしている。3D配信の直後は、何をやっても……とか、自分の存在を卑下するようなことを言っていたが、今年に入って少しずつ、「架空の存在としての自分」と戦っているような印象を受けた。
もしかして、その強い思いがあれば何か変わるんじゃないのか。生きた証があれば。
そして生きた証とは何か……と考えたとき、やはりそれは配信なのではないかと思う。

 
だから、黛灰。新型デュエルディスクを持つんだ。
不安ならリスナーがデュエルディスクになる。
黛灰が、黛灰になるところを見守るくらいしか出来ないけど。自己実現の足しにしてくれ。自我を増幅するための補助剤にでも使ってくれ。
敢えてオタク語法を使って書くならば。
視聴者目線からすれば、十二分に生きた証は残っていると思うけど。
もしも足りないなら、毎秒配信してくれ。
体に気をつけて美味しいご飯食べて睡眠を取りつつ充分に休息時間も確保しながら、毎秒配信してくれ。生きてる証、見せつけてください。
暴論を吹っかけてしまったけれど、実際のところ、視聴者参加型企画ってそういう役割なんじゃないかと思っている。自我、増幅していこう。黛灰はいます。黛灰を好きになりましょう。
予定表に「なにもない」なんて書かないような未来が、その先に待っていると信じて。
 
だって困るんだ。香水の再再販分が7月以降に届くんだから。
私は黛の配信を見ながらパッケージを開けたいし、雑談で触れられることがあれば買ったよ報告をしたい。教授が見たらエゴだって鼻で笑われそうだけど、こういうエゴのひとつひとつが、リスナーの持つ力だと信じている。