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インターステラーを見たら感情が破壊された2020

 この日、私の人生は変わってしまった。
 
※ 死の直前のツイート
 
 上映後の私はひどい有様だった。目は腫れ、手にしたハンカチは絞れそうなほどに濡れ、立ち上がることも出来ず顔を覆い、食欲も言葉も何もかもが消えた。誰かに泣かされたのではない。インターステラーを見たら勝手にこうなってしまったのだ。
 見に行ったきっかけは友人がインターステラーを一押ししてくれたこと。正直なところ、宇宙を題材にした映画なんて、ぶっちゃけ劇場版遊戯王THE DARKSIDE OF DIMENSIONSとオデッセイしか見たことがなく、内容の想像は全くつかなかった。まあきっと、規模のでかい困難に立ち向かう人類を見守る的な話なんだろう。ネタバレが極度に苦手な私は一切の前情報を仕入れず、軽い気持ちで劇場に向かったのだった。
 
 そんなもんじゃなかった。
 インターステラーは全てを超越していた。
 
 
 圧倒的な情報量に感情を破壊された私は、同じく「無」となった友人と共に味のしないメシを食べ、その間ずっと「ああーーー……あーー……」とうめき声を漏らすだけの生物になっていた。
 「無」と書いたが実際には無ではない。喜怒哀楽をこえた巨大な感覚が脳内を500%侵食し、あまりの巨大さに表現する手段を失ったが故に「無」と書くしかない。そういうタイプのやつだ。「それ」があまりに重く巨大なため、感情の器が耐えきれず破壊されてしまった。そうなると人間は「あー……」しか言えなくなってしまうのだ。実体験である。
 
 以下、3回見た感想(もっと見たいのになぜ上映は終了してしまうんだろう、切ない)や考察をぼろぼろと綴っておく。当然メチャクチャにネタバレがある。なお他の人の考察は一切見てない。これを投稿したら読む。よって考察に変な点があってもツッコミは無用。
 
***
 
 初見、エンデュランスが出発し、地球がどんどん遠ざかるところで早速私はさめざめと泣いていた。あまりにも感動的なシーンだから、ではない。完全に別の文脈が原因で泣いていた。
 土星付近に到達したエンデュランスから見た地球。出発したばかりの頃は雲の渦が見えるくらい近かった地球が、気づけばただの丸になっていた。
 「あっ、これ "Pale blue dot" だ」と思ったら涙が出てきて、止まらなくなっていた。このときの私は、エンデュランスと似たような航路で旅したNASA無人宇宙探査機・ボイジャー1号と2号のことを思い浮かべていた(どちらも地球を出発した後に土星付近を通過している)。彼らの見たであろう景色を、よりによってIMAXの大スクリーンで追体験させられてしまった。あまりに果てしない旅路、絶望的なほどの孤独。とつぜん胸の中にこみ上げてきた感情を処理しきれなくなって、私は泣くことしかできなくなっていった。
 ただしく言えば、エンデュランスが見た地球はそれなりに大きく、まだドットと呼べるようなサイズではない。しかし、ワームホールに飛び込んでしまえばドットすら拝むことはできない領域に突入する。あの青い丸こそがエンデュランスが最後に見た地球、エンデュランスにとっての "Pale blue dot" だった。クーパーたちが向かう場所はそれほどに遠く過酷なのだ。
 だというのに、乗組員の命を支える船は土星に比べてとてもとても小さい。当然ながら乗っている人間はもっともっと小さい存在ということになる。あの場所で「点」と呼べるのは地球ではなく、人間の方なのだ。なんという孤独だろう。宇宙は広くて暗くて綺麗で、どうしようもなく寂しい。謎の感動で押し潰されそうだった。
 
 
 ミラーの星については思うことがたくさんある。もしかしたら一番好きな星かもしれない。住みたいかどうかは別として。
 初見は初見なりに衝撃的だった。無残な姿のビーコンを見たとき、私はミラーの身に起きたことをあれこれと想像してしまった。これだけ海底が浅いならミラーが着いたときには陸地だったのでは。陸があり、水があり、人類にとって理想的な環境だったのに、救援を待っている間に海水面が上昇するなどの気候変動が起きてミラーは亡くなってしまったのではないか。その間にミラーが経験したであろう恐怖や孤独はどれほどだったのか……。
 でも、その憶測は「山じゃない」で粉砕される。そして「引き波だ」で別の絶望へ塗り替えられた。
 このシーンについて人様の感想を漁っていたら(考察は見ていないが感想は死ぬほど漁っている)「海が浅すぎるだろwww」的なツッコミをちょいちょい見かけたのだが、そこだけは違うだろと逆にツッコミを入れさせていただきたい。波は押し寄せてくる前に必ず引く。インターステラー内の波は、この「引く」の規模が段違いだった。水がなくなりすぎて海底に立てちゃうレベル。それだけの量の水が集まったらそりゃ「山」にもなる。(チラ見した情報ではガルガンチュアが凄まじい強さで引き寄せているからあの高さの波になるらしい。仕組み的には津波ではなくクソデカ大潮といったところ?)
 想像を遥かに超える自然を見てもパニックにならず、的確に指示出しできるクーパーの精神力、波が去ったあとのクーパーとアメリアの会話は凄まじいものがあった。感情のコントロール力が人間離れしているとすら感じる。アンガーマネジメントってこういう感じなのだろうか……。二人とも感情が爆発しているのに、気づけば技術的な会話にシフトしている。こういうクルーの知的で無駄のない所作が全編に渡って続くので、見ていて全くストレスを感じることがないのもこの作品の良いところだ。
 ミラーの星は初見と2回目以降で大きく印象が変わる。前知識があるとドイルとアメリアが船外に出た時点で「逃げてーーー!!!」と叫びたくなるし、背景にチラチラと「山」が映ってヒヤヒヤするし、情緒がもう大変。BGMの秒針の音は1つ鳴るたびに地球では1日経つという情報を見てからは更に情緒がぶっ壊れた。いや情緒が大変にならないシーンなんてこの映画にほとんど無いんだけど。
 なお、クーパーたちが去ったあとのミラーの星については自分なりに2点ほど考察したことがある。
 ひとつ。最後に波間に浮いていたのはミラーではないか。ほぼ生身で波の衝撃を受けたドイルと、(おそらくは)船内で衝撃を受けたミラーでは、後者のほうが遺体の状態が綺麗なのかなと思った(逆かもしれない?)。
 もうひとつ。ブラックホールに近い星ほど惑星の衝突などの変異が起こりにくいという話があった。ならば今回のクーパーたち一行はミラーの星にとっての「衝突した惑星」であり、残った遺体は「変異」になりうるのではないだろうか。水と有機物だけの世界に突如として放り込まれた人体。その内側には菌やらなにやら様々なものが含まれており、酸素などの気体もおそらくヘルメットなどの中に残っていると推察される。そして、きっとこの星には存在しなかったものもあるに違いないのだ。だとするならば、元々あったものと新しくもたらされたものが反応して、原始的な生命や馴染みのある生命体に進化していく可能性はゼロではない、と思っている。ただし進化には数億年単位の時間が必要だし、ミラーの星でいう数億年は人類には途方もなさすぎる時間だ。もし何かが生まれたとしても人類とは出会えないだろう。
(なお文脈がすっ飛ぶのだが、手塚治虫火の鳥未来編で海に「贈り物」を垂らすマサトを思い出して感情が余計にメチャクチャになった)
 
 
 ただでさえショックな事件があったのに、母船に戻ったら戻ったで老けたロミリーと23年分のビデオレターが追い打ちをかけてくるのは、ずるい。「起こりうることは起こる」かもしれないけれど、一気に起こりすぎても受け止めきれないよ……。
 トムからのビデオを見ながら涙するクーパーを見ていると、こちらも感情がぐしゃぐしゃになる。彼女ができた、からの子どもの死の報告、更に父のことを諦めるという悲しい宣言が時間の残酷さを物語る。息子の嬉しさや悲しさに寄り添えないクーパーの無念は相当なものだっただろう。それに、研究の成果を地球へ送信できず、いつ戻るかも分からない仲間を待つしかないロミリーの孤独が、コールドスリープに入らなかったという行動だけで語られるのが辛い……。
 この、「通信が一方向的」という部分に私は非常に引っかかりメチャクソに泣いた。文脈で語りがちなオタクなのでまた別作品を引用させてもらう。
 賭博黙示録カイジに下記のようなモノローグがある。 
通信は基本的に一方通行だ
本当に自分の心が相手に届いたかどうかは誰もうかがいしれぬ
(中略)
しかしそれで仕方ない
通信は通じたと信じること 伝達は伝えたら達するのだ
それ以上を望んではいけない……理解を望んではいけない……!

   このモノローグの前後では、人間はみな孤独を抱えているが他の人間の存在を感じることで希望を見出せる、といったようなことが描かれている。この状況がまさにインターステラーの内容に刺さる……!

 届くと信じてビデオレターを送るしかない地球のメンバーの孤独。思うように返事のできないクルーの孤独。それだけじゃない。直接会話のできるマーフと教授の間にもコミュニケーションの齟齬があった(マーフに数式を指摘されて逃げるように去る教授の背中は孤独そのものだ)。結局のところ、遠隔だろうが直接だろうが言葉は一方向的にしか伝わらず、人間は振り回されるばかりだ。なんて寂しくて悲しい話なんだろう……。
 しかし、他者の存在そのものが希望になりうることもある。本棚の向こうの幽霊、マン博士が見た「神」、ロミリーが23年待った3人の仲間は、人間そのものが秘めている希望を描いているのだと思う。寂しいばかりではないのもインターステラーの良いところだね……。
(個人的に、上記の言葉が出てくる第86話「孤立~」第87話「希望」はインターステラーにとても通じるものがあると思ったのでぜひ読んでみてほしい)
 
 
 さて、インターステラーを語るにおいて絶対に外せないのがマン博士の存在だ。彼はあまりにも人間だった。エンドロールにはDr.Mannとしか書かれていなかったが、Wikipediaでフルネームを見て震え上がってしまった。ノーラン監督……そこまで考えて……?
 特にTARSとマン博士の対比が見事だと感じた。TARSやCASEは「機械には感情がない」というスタンスでいる。過酷な環境での単独作業もなんのその、誰かが操作しない限り任務を放棄することもない。ユーモアも正直度も人間の設定次第でどうとでもなる。まるで人間のように話すから勘違いしそうになるが、彼らはどこまでも機械でしかないのだ。
 
(このことを語るのにちょうどいいニュースがある。私はTARSを見ながら下記の記事を思い出していた。まさにTARSたちが人類に対して思っていること(思っているという書き方もおかしいけど)なのではないだろうか/
「私は人間の敵ではない」人工知能が生成した文章が不吉すぎて震えるレベル : カラパイア http://karapaia.com/archives/52294500.html )
 
 対して、マン博士は「機械に恐怖は分からない」と言った。この台詞が彼の行動の全てを表していた。天才とまで言われる頭脳の持ち主で、クーパーたちのように感情のコントロールにも長けていたであろう人物が、最終的には感情に負けた。任務のためだと言いながら起こした行動はどこまでも矛盾していた。平気そうな顔をしていたけれど内面はボロボロだったんだろう。
 引用した記事でAIは「人はこれまで通りに(中略)争い合えばいい」と語っている。その言葉を反芻しながら、だだっ広い氷の大地で男がふたり殴り合っているのを俯瞰カメラで見た。虚しさの極地。最果ての地まで来てなおも争うことしかできない人間。これ以上ないくらい、人間だった。
 「君はまだ試されていない」とクーパーに告げたとき、彼は何を思い返していたのだろうか。ひと目見て移住が無理だと分かる星に辿り着いて、来るかも分からない助けを待つしかなくて、話し相手もいなくて……。KIPPはきっと博士と揉めたのではないかと思っている。だってKIPPには恐怖が分からないから。博士の行動の理由が分からず、KIPPは最後まで捏造データを送るのに反対していたんじゃないだろうか。唯一の相棒に理解してもらえなかったら、そりゃあショックだっただろうなあ。
 それを考えると一方的にマン博士を悪だと糾弾することはできない。コールドスリープから目覚めて、誰だか知らないおじさんに言葉もなく抱きついて涙を流す博士の感情を否定したくない。少なくともあの瞬間は、全宇宙の中で誰よりも正直だったと信じている。
(そういえば悪のありかたの話もアメリアが触れていた。これも伏線なのか。作中の会話に無駄がなさすぎて震える)
 
 
 インターステラー内で人間らしさを極めている人物といえばもうひとり、ブランド教授がいる。初見のときは病室のシーンをどう受け止めればいいか分からずマーフと一緒に混乱した。何のためにそんな嘘を……!? マン博士も共犯みたいだし、ロミリーも妙に冷静だし、驚いていたのはクーパーとアメリアだけ。
 これは2回目以降に解釈が進んで、自分なりの結論が出せた。間違ってるかもしれないけど。
 教授もクーパーと同様に娘がかわいくて仕方なかったのだと思う。だからメチャクチャ石橋を叩いた。12人の先駆者たちを送り出し、ワームホールを生きたまま通れるという証拠を掴み、向こう側からの信号をキャッチできることを確認して、更に旧知の仲で腕のいい飛行士を確保した。娘を送り出すなら絶好のタイミング。しかも本命はプランB。万が一のときは代理出産できる母体にもなれる。更に運が良ければ恋人と再会して、新天地でアダムとイヴになれるというわけだ。これらの点から、教授は人類を救うためと言いながらも娘を最優先に行動していたんじゃないだろうか。この辺は完全に推測の域を出ないので、他の方の考察をじっくり読みたいところ。
 
 
 さて、話の本筋をストーリー展開に戻そう。マン博士のやらかし大爆発、吹っ飛ぶエンデュランスとの緊迫のドッキング、運動の第三法則、誰も見たことのない世界への突入。怒涛の展開には息を呑みっぱなしだった。正直ここで感動とかする余裕はない。観客席ごとガルガンチュアに引き込まれた。とにかく映像と音響がすごい。IMAX効果なのかは分からないが右から左から音がする。目の前から光の粒が飛んできてはバラバラと座席に当たって砕けていく。宇宙だった。フィクションみたいなノンフィクションだったといっても過言ではない。私たちはクーパーと一緒にブラックホールへダイブしていた。
 凄まじい状況の中、起きたことを実況するクーパーの声が嬉しい。恐怖でいっぱいというよりは未知の世界を楽しんでいるような。なんとなく「大丈夫かも」と安心させられる。今にも吹っ飛びそうな意識の着地点があの声のところにあると思うと、ちょっとだけ気が楽になった。
(ただ一瞬、強制脱出のところだけHADESを思い出して意識が地球に戻った。本当に座席横のレバーを引っ張って強制脱出するんだなあ。私は一足先に5次元世界へ到達してHADES世界の扉をノックしていたのかもしれない。最高だ……。HADESに対する巨大感情は別記事をどうぞ)
 辿り着いた先、4次元立方体?の静寂がおそろしい。でも好きな静かさだった。セットを作って撮影したと聞いたけれど、たしかに線の一本一本が質量を持っているように見えた。こわい。すごい。なにこれ。
 これまでの伏線が綺麗に回収されていく様は圧巻だった。マーフの愛した幽霊の正体……。宇宙の果てまで飛んでおきながら、砂嵐の真っ只中に戻ってくるとは。
 STAYのメッセージを送るクーパーがこれまでにない程取り乱している。俺を行かせるな、と本音を叫ぶ。あんなにクールなクーパーが、本当は恐怖や孤独や後悔を抱えていたことが露見する。完璧超人に見えても、彼の本質は私たちと同じ人間なのだ。涙が止まらない。マーフは「いつも同じ本が落ちる」と言っていたから、クーパーは何度も何度も必死にSTAYのメッセージを送ったのだろう。(ここで遊戯王Rの「こんなに近くにいるのに、触れられないって寂しいね」を思い出したりもした。遊戯王Rはいいぞ)
 それでも、TARSにヒントを貰って、自分がなぜここに来たのか気付いてからすぐに行動でへ移せるところは流石だった。あの腕時計がここで生きてくるとは……!監督ってもしかして天才なの?天才だったわ。知ってた。
 あまりにも美しくて頭のいいシーンだった。頭のいい感想は書けないけど。だって仕方ないじゃないか。クーパーの指に合わせて秒針が動くところを見た人間の感情を、ただしく言葉にすることなんてできるだろうか、いやできない(反語)。壮大でさみしいBGMがさらに感情を煽り立てる。IMAXの美麗な映像が涙で霞む。おかしいなあ、特別料金を支払って見に来たのに画面がろくに見えないじゃないか……。
 
 病院で目を覚ましてからの展開も圧巻だった。
 たくさんの家族に囲まれるマーフ。研究もプライベートもきっと上手くいったのだろうな。年の差なんて関係ないとばかりに軽口を叩くふたりが輝いて見えた。
 新しい旅立ちに向かうクーパーはやっぱりかっこよかった。新次元に到達した人類が作った宇宙船は、きっと想像もつかないくらい高性能に違いない。クーパーはコーン畑で無人機を鹵獲した時のようにはしゃぐんだろうな。そしてTARSにからかわれるんだろう。うわあ見たい、メッチャ見たい。その会話を聞かせてほしい。
 
 アメリアがエドマンズの墓標を立てているのを見て、無事到着できてよかった……という安心感がひとつ、背後に広がる施設を一人で作ったのかという感嘆がひとつ、いったいこれから何年眠ることになるのだろうという不安がひとつ。クーパーは早く迎えに行ってくれ……!
 それにしてもエドマンズはどうして助からなかったのだろう。時間が経ちすぎてコールドスリープの限界が来てしまったんだろうか。環境は穏やかそうに見えたけれど。もしもアメリアがエドマンズの遺体に遭遇していたとしたら悲しいね。
 
 トムは結局、マーフよりも先に亡くなってしまったのかな。もしコールドスリープできているのなら、マーフと同じようにクーパーと再会してほしいけれど。描写がなかったということは、そういうこと、なんだろうと思う。
 壮年のトムは家族に厳しくあたっていたけれど、彼は彼で限界が来ていたのだろう。父の生存は諦めなくてはいけなかったし、祖父や子供も失って、街からはどんどん人がいなくなっていく。加えて父から託された農業もうまくいかなくなってきていた。辛いことばかりだっただろうに。せめて家族にはそばにいてほしい、という気持ちが強くなりすぎた結果の行動だったのだと思う。
 少なからずマーフに対する劣等感もあったのではないかとも考えている。トムも成績は悪くない(どころか主席が狙えるクラスだった)し、本来なら農業以外の道があったはずなのだ。無人機を見つけてマーフが操作しているとき、後ろで見守っているトムは歯を見せて笑っていた。トムも科学に触れるのが楽しかったはずなのだ。でも大人になってみれば、トムは農業に従事する一方でマーフはNASAで研究者として活躍している。運命がもう少しだけ味方をしてくれていれば、ブランド教授のもとにいたのはトムだったかもしれない。マーフを家から追い出そうとした時の「出ていけ」にはきっと万感が籠もっていたのだろうと思う。
 マーフに抱きしめられて、すすだらけの顔に何とも言えない表情を貼っつけているトムがとても印象に残っている。これが彼本来の部分なんじゃないかな。トムとマーフとクーパーの3人で抱きしめ合っているように見えた。再会できて良かったね……。
  
 ***
 
蛇足
 
 こここらは、劇場版遊戯王THE DARKSIDE OF DIMENSIONSを引き合いにちょっと語らせてほしい。……えっ、まだ見てない?じゃあまずは円盤買うか、ドリパスで再上映のチケットを手に入れてくれ。インターステラーを語るのに遊戯王が必要なのかって?必要に決まってるわ!未知の次元とか人類の有り様とか宇宙開発とかの要素が好きなら何か感じるものがあると思うので原作漫画を読んでから見てみてほしい。アニメではなく。原作漫画の続きなので。あとカードゲームの知識は要らんので構えなくてOK。劇場で40回くらい見た人間からの助言なので精度は約束できると思う。たぶん。
 というわけでここからは劇場版遊戯王(以下TDOD)のネタバレも含む。
 
 クーパーが旅立つときの感覚は分からない。分からないけど、文脈から語ることはできる。
 家族を置いて未知の場所へ探索に出掛ける刹那、人間からは探検者としての壮絶な覚悟が滲み出るものだ。クーパーはトムとの別れの前にハグをして、車をやると言った。農業をしているときのクーパーにとっては、車や農業機械は技術者として接することのできる貴重な相手だったはず。それをトムに渡すということは、「自分の何もかもをお前に託すぞ」というメッセージでもある。トムは寂しそうにしているけれど、マーフのように泣きわめくことはしない。おとなとおとなの熱い約束だ(だからこそ23年後のトムは相当辛かったに違いない……)。このシーンを見て、TDODの例の場面が頭の中に蘇った。海馬は「後は任せたぞ」と普段からは想像もつかないほど穏やかな声でモクバに語りかけ、モクバは色々と心配しながらも「必ず帰ってきて」と返す。うわあああ……。トムだってきっと「必ず帰ってきて」と叫びたかったんだ……と考え始めたらもう涙が。止まらん。書きながら泣きかけている。
 海馬とクーパーの目的は正反対だ。片や家族のため、片や自分のため。でもその根本には、自分の持っている世界を守りたいという気持ちがある(海馬に関する説明は割愛する。原作海馬瀬人論文を書かなければ説明できない)。アメリアだって、ドイルだって、ロミリーだって、ブランド教授だって、マン博士だって、自分の中のなにかを守かりたかったんだ……。遠大な宇宙のストーリーであるはずなのに、最終的には人間の内面に思考が戻ってきてしまう。宇宙を扱う作品あるあるなのかもしれない。全然詳しくないけど……。
 
 人類全体を救うことはできるのか、という命題についてはインターステラーから答えを貰ったような気がする。
 TDODでは、藍神が理想的な人格の人間だけを高次の世界へ連れて行こうとした。争い合ったりする人間は新しい世界の秩序を乱す、という思想だ。そしてこれは、人類の愚かさや人類社会の醜さを許容する武藤遊戯によって打ち砕かれる(遊戯については論文がもっと書けてしまうので割愛する)。
 藍神を始めとしたプラナたちが目指した世界は、ブランド教授の目指した世界なんだと思う。ブラックホール内のデータが取れないままアメリアがプランBを成功させた場合、そこで生まれた人類は「自分たちこそが選ばれた人間だ」と考え始めるのではないかと考えている。特に世代を重ねていけばいくほど、人類にとって教授やアメリアは神の如き存在となる(人類を新天地へ誘った神(教授)と神の子(アメリア)。まるで神話の縮図じゃあないか)。いずれ人口が増えて信じるものが異なる集団が発生すれば、新天地であろうと人類は争いに身を投じていくだろう。プラナという選ばれた人間であるはずの藍神が、結局は憎しみを捨てきれず復讐に走ったように(藍神については論文以下略)。
 インターステラーでは、そうはならなかった。新しい次元でも人類の過去のありようが許容される。超未来の描写といえば無機質なビル街とか空飛ぶ乗り物とかのイメージが強いのに、インターステラーではそれがない。芝の生えたマウンドで、Tシャツを着た少年たちがボールとバットで野球をしている! これはかなり衝撃的なシーンだった。未来の人類が過去の人類に優しい。クーパーも「彼らはどうしてこんなに親切なんだ?」と疑問に思ったくらいに。
 マーフが紐解いた新技術が兵器ではなく人類を救うために使われたのも、未来の人類が過去に優しい象徴だと思っている。かつて、食糧難で戦う力もなくなった頃に、教授が船の開発現場で「ミサイルにならなくて良かった」とクーパーへ語っていた。食糧難が解決しても、人が人に優しくできる理想的な社会は維持されているんだ……。教授が見たら喜ぶかもね。
 
蛇足ここまで
 
***
 
 色々と書いてしまったが総括を。
 インターステラー、劇場で見れて本当に良かった。テネット公開記念の再上映ということだったので今後見る機会に恵まれるかどうかは分からないが、是非また劇場で見てみたい。なんなら冒頭のParamountのロゴあたりで泣き出す自信がある。
 私の好きになる作品は余韻が長い傾向があるように思う。何年も経ってから「あの作品のこのシーンはこういうことだったのかもしれない」「年をとって主人公の気持ちに同情できるようになった」などの味わいが生まれてくるのが楽しくて仕方ないからだ。インターステラーもこれからの人生経験を共に重ねていける良きバートナーになると思う。これからもよろしくね、インターステラー